道端の幸せ。
スプーキーです。
自分の生き方は他人に委ねるものではない。
一般的な価値観としての幸せは大体結婚して家庭を築くというところに行き着く。独身貴族などというのは揶揄されているだけなのにさも特別なように扱うのもなんだか違和感がある。そもそも、独身だから幸せじゃない、結婚したから幸せなどと決める必要などあるのだろうか。
薄っぺらい価値観にしてきたのはメディアの影響が大きいのはあるけれど受動側にも思考という余地がない、あるいは思考を選択しなかったが故に固定された価値観を持って幸福の判定をしてきた。自分だけが判断するならともかく、こういう話にはとかく押し付けあいが起こる。わたしも無意識にしているのかもしれないが、決められる筋合いなどない。
思考をやめるというのは個人的には死に近いものだと思っている。どんなにくだらないことでも思考は大事だと思うし、そこから何か見出せることもある。もちろん常に思考していることはないけれど、考えるに越したことはない。だから自分の幸せというのは何か、というのも考えて然るべきなのだ。
別の価値観を受け入れられない場合というのは、純粋に感性の問題もあるかもしれない。しかし大抵は同調圧力によって固められているのだなあと思う。同調圧力は時として良い結果をもたらすけれど、それは思考の末に行き着くものであって、ただ屈しているだけなら自分の本当の気持ちと剥離したものであるのだから、幸せになるとは言い難いだろう。故に、結婚できないと幸せじゃないと言う人がいるわけだ。
自分の本当の気持ちは自分にしかわからない。ヒントはもらえるかもしれないが答えはくれない。そもそも答えだって変わるのかもしれない。嫌なことばかりかもしれないが、自分の過去を振り返ってみるのが一番手っ取り早い。楽しかったこともそこに眠っているからだ。若い時の幸福な体験は歳を重ねてからも強烈に残り、それこそが幸せだと思う価値観の原点なのだから。
思考を終えたなら、後は行動するだけだ。