前置きなしでは会話できない世界。
スプーキーです。
この前置きも特にはいらないけど趣味で書いてる。
いつからか前置きというか、注意書きのような予防線を引かないと会話できない世界になったのだろう。隙があればあるだけ人々は個人を攻撃する。
文章というのは大体伝わり方が変わるようにできている。解釈が不定で確定した一文がないと真逆の伝わり方をすることもある。これはメリットでありデメリットである。文章そのものに損得を考えるのはなんとも複雑な気分だけどそういう風に割り切られている現状もまたあるのは確かだ。
だからどうしても意見や考え方、価値観が合わないと分かった瞬間に攻撃されるというのは理不尽に感じる。何にでも個人の考えです、なんて1文必要なのだろうか。個人の考えなんて誰でも分かっていることなのに。書いているのは組織としてではなく個人としてなのに。
自由主義というのがどういった自由なのかよくわからないが、攻撃的なのも価値観の尊重として捉えられるならそれは自由ではなくご都合主義ではないだろうか。温和で幸福な社会にするために自由主義というのが謳歌されてるのではないだろうか。
たかが文章、されど文章である。誰もが込めた想いを頭ごなしに否定して攻撃するというのは人間として美しく思えない。防衛反応として機能した前置きなど本来は必要のない文章なのに、それがあるだけでわたしにはひどく退屈な世界に思える。納得いかない意見なら建設的に会話できる方が必要な能力ではないだろうか。
最近の世界はひどく息苦しい。