人に見られてもいい日記。

人に見られてもいい程度の日記。

視野の狭まりと気づきの時間について。

スプーキーです。

思考も過ぎれば毒となる。

 

 

年末年始はなんだかんだ忙しい事もあるのだが、いろんな事が重なって出かけられない事がしばしばある。そういう時は大体ベッドに篭るのだけど現在は篭りすぎてネガティブな感情が湧いて出てくるので実に困っている。

 

 

例えば初詣のおみくじで吉ではあったのだけど、内容的には非常に微妙な内容なのと希望している事柄に関してはうまく行かないという。あまり信じない方なのだが、視覚で感知するとそこに囚われている自分がいる。あとは新年の挨拶をメールしたけど返信どころか既読すらつかないとか、これはきっと拒否されているんだろうなと思いつつもつい最近会話していた人もいる。何がいけなかったんだろうとは思って悩んでいる。

 

 

経験上、こういう時は大体結論が出ないからあまり考えないようにしてはいるのだけど次に進むための精神的なエネルギーの消費はかなりのものだ。曖昧になってスッキリしないままいつのまにか忘れる。そういうサイクルでずっと生きているので慣れたといえばそうなのだが、気持ちいいかといえば全くそうではない。なんというか、新年早々出だしが悪くないかと今は思う。

 

 

個人的な分析だけれどネガティブな時は大体視野が狭くなっていて、ほかに為すべき事や周りの出来事が全く見えていない事が多い。1つの事柄に関連付けがなされないまま感情論あるいは根性論になりがちである。月の光に気づかないまま、人工の紫外線に群がる蛾の様に。ぐるぐると死ぬまで彼らは羽ばたき、その熱でイカロスの様に翼を焼かれて死ぬのだ。わたしも末期になればそんな感じになるのかも知れない。ならないけど。

 

 

今書いている時点でとっくにそれらに気付いているのだが、そこまでの時間はそれなりにかかる。大体は頭の中の整理に時間を使い、それから自分の客観的な精神状況を把握するというわけだ。ひどい時は1週間くらいはかかるが、まあ能天気な一面のあるわたしは寝れば治ることも少なくない。つまり、考えるだけ無駄なのだ。情報以上の事柄は全て推測に過ぎないのだから。

 

 

そういうことを話せる人が欲しい。