incident.
スプーキーです。
新年はあくまでも人間だけの概念に過ぎない。
そんなわけでニーマルニーマル年を迎えたわけだが、昔から新年とかに大した価値を感じているわけではない。冷静に考えれば人間が定めた概念なわけで俯瞰してみれば世界は何事もなく動いている。それだけ。
とはいえ、何かしらの区切りをつけるという意味では数字は実に都合の良い記号である。そんなわけでわたしも例外なく今年の抱負みたいなのはある。言わないけど。
連絡を取ってなかった人に久々にチャットしたりとなんとなく過去を辿る癖が毎年のようにある。明日また書くけど、母校巡りという名のツーリングをする予定だ。過去を辿るのは何でだろうな。自分の道が間違っていないか確認したいのだろうか?ここのところ無意識が仕事し過ぎていてよくわからないことがある。
新年早々財布の行方が知れなくなり焦ったが、多分気を付けろということなのだろう。オカルトみたいなことを愚直に信じるあたり人間らしさはまだ維持しているみたいだ。
毎年のように感情を捨てて暮らしたいと願うものだが叶うわけでもないから楽しく生きようと足掻いている。そのしっぺ返しはいつ食らうのかわからないけれど。単純なことなのに楽に事が運ばないのは理不尽だなあとは思う。
世は常なることはなし、つまり無常であるので今更ではあるのだが今年は事変となる何かが起きる気がする。小さな変化だけではなくその積み重ねが劇的なものとなるような、ささやかな感覚。そうなるかどうかは自分次第なのだが、来年の今はそれをどう思うんだろう。わからないけど、やれることをやっていく。いつだってそうしてきた。
気軽に、気楽に、安易に考えてきた時期もある。でも思考して、精査して、慎重に考えてくるようになった。常にそういう風にするにはまだ経験が足りないのだけど出来ないことをやるのは今だけだから、臆せずに。
人間は決然と孤独であると、わたしの気になる人物は言った。時々この人の意見には反論したくなるがそれだけは腑に落ちた。それはあまりに残酷で正しいことだから。わたしがいる人生にはわたしが中心なのだから。
わたしたちの事変はここから始まる。