鈍る感性と研ぎ澄まされる矛盾。
スプーキーです。
モヤモヤしたことをハッキリしてみる。
ソシャゲの話をしてみるけれど、まったくもってポジティブな話ではない。
念のため言っておくとわたしはソシャゲをプレイしたことがある人間で課金の経験もある。重課金ほどではないが貯金が気づいたら半分になっていたくらいにはハマっていた時期がある。だからこそ今こうして書くようなことがあるのだけれど。
ソシャゲの売り込みは実に様々だ。ゲームシステム、ストーリー、PvP、グラフィック……。
アニメのソシャゲ化なども考えればブランドイメージというのも付いてくる。当然商品をアピールするのに魅力を語らないなんてことはあり得ないのでそれについてどうこうはない。それはコンシューマーやPCでのオンラインゲームも同じことだからだ。
が、ソシャゲというものには必ず付いて回る宿命がある。
「他者との比較、引いては優劣の差別がつけやすい」というところだ。
正直に言えばメリットでありデメリットだなあとは思う。プレイするモチベーションを変化させるにおいては最もわかりやすく、自然に発生してしまうシステムだからだ。これだけならばオンラインゲーム全般同じなのだが、もう一つ切っても切れないものがある。
おなじみガチャシステムの存在だ。
ソシャゲの収入源であり、ユーザーの不満の対象でもある。
近年は様々な工夫がされてきて無課金と課金者の差が雀の涙程かもしれないが縮まっているとは感じる。
これも個人的にはまあそういうもんだなあと納得しているし、オンラインゲームにおいて買い切りでは収入源としては運営が成り立たない。
個人的に疑問なのは「無課金でもどうにかなる」という構造だと思っている。
できるだけ金は使いたくない、でも課金しなくてもいいなら頑張る。一般的な感覚としては正常なのだろう。
だが、どうしても私にはその感覚が虚無としか捉えられないのだ。どこにいくわけでもない、何か望みが叶うわけでもない。目指す先とはなんだろう。そこに生産的なものはなく、言ってしまえば浪費に近い。寝るだけよりはマシかもしれないがどっこいどっこいだ。ストーリーが良いから頑張れるのか?何だかんだ面白いとハッキリ言えるのか?私はそうだとは思わない。結局プレイ時間の大部分を面白みのない作業に費やして、もっと違うことができたはずの時間を置いてきてしまったという事実に私は耐えられない。
先述のことも組み合わさればなお状態というのは酷いもので、いくら頑張っても他人と比較すれば大したことはなく、それがガチャによるものなら尚のこと運任せにしかならない事象ならばやりようもない。ゲームって何なんだろうな、という感情が蠢いている。
たかがゲーム、されどゲーム。とはよく言うが、私の中で研ぎ澄まされた矛盾に対する感性が果たして本当に鈍っているのかなんて。正しいのかなんて。
わかりはしない。